1980年代後半、空前の強気相場を謳歌していたウォール街を、1日で吹き飛ばした出来事がありました。
1987年10月19日月曜日――後に「ブラックマンデー」と呼ばれる株価大暴落です。
ダウ平均は前週末比508ドル(22.6%)下落し、衝撃は東京やロンドンをも巻き込んで世界市場へ連鎖。
コンピューター主導のプログラム売りが雪崩を呼び、米連邦準備制度理事会(FRB)が流動性供給を宣言するまで市場は惨状を極めました。
本記事では、暴落のメカニズムとその後の金融制度改革、さらには現代投資家が取るべき対策までを詳しく解説します。
行事の基本情報
項目 | 内容 |
---|---|
名称 | ブラックマンデー(1987年株価大暴落) |
発生日 | 1987年10月19日(米国) |
主な下落率 | ダウ平均▲22.6%、S&P500▲20.5% |
日本市場への影響 | 翌20日、日経平均▲14.9%(過去最大) |
公式情報 | Federal Reserve History |
関連用語 | プログラム売り/ポートフォリオ保険/サーキットブレーカー |
由来と歴史
■ バブル寸前の過熱相場
1982年から続いた米株上昇でダウ平均は5年で約3倍に。
金利上昇懸念と双子の赤字、Louvre合意後の為替不安で投資家心理は次第に緊張していました。
※双子の赤字とは、国の家計でいうと、「政府も家計簿が赤字で借金中、しかも海外への支払いも赤字でお金が出ていく」という二重苦の状態を指します。
■ 導火線:プログラム売りとポートフォリオ保険
当時急拡大していた「ポートフォリオ保険」は先物を自動売却して損失を限定する戦略。
下げ幅が広がるほど追加売りが発動し、指数先物→現物株の売り連鎖を加速させました。
■ 暴落当日のタイムライン
- 10/19 09:30(NY) 開場直後に売り優勢
- 10/19 11:30 ダウ▲200ドル超で取引急増、システム遅延
- 10/19 15:00 取引終了まで売り止まらず、終値▲508ドル
翌日オーストラリア・香港・東京も急落し、世界時価総額の20%が失われました。
■ 危機対応と制度改革
FRBは「流動性供給」を声明し、市場にドル資金を注入。
翌年、NYSEはサーキットブレーカー(7%・13%・20%下落で一時取引停止)を導入しました。
以降、各国取引所も同様の仕組みを整備し、リスク管理や派生商品規制が強化されました。
現代の「過ごし方」=教訓と備え
視点 | 具体策 |
---|---|
個人投資家 | 分散投資・定期的リバランス・逆指値の活用 |
マーケット | サーキットブレーカー発動基準の定期見直し、リスク管理モデルの高度化 |
学習・研究 | FRB・SECが公開する当時の議事録や報告書を読み、市場心理と制度設計を学ぶ |
コミュニティ | 10月第3週に開催される大学・証券会社セミナーでケーススタディ |
関連する雑学や逸話
- “ブラック”+曜日の慣例
1929年10月24日の「ブラックサーズデー」を踏襲し、月曜日版として命名された。 - 取引停止なしで終えた最後の大暴落
当日は現在のような自動停止装置が存在せず、3時間超のシステム遅延が混乱に拍車を掛けた。 - 日本は2か月で史上最高値を更新
東京市場は急落後わずか44営業日で下落分を全戻し。結果的に平成バブルを加速させたとも言われる。 - 史上最大“一日”下落率の座は未だ不動
1987年の▲22.6%はいまもダウのワースト記録。コロナ暴落(2020年3月)は▲12.9%で2位。
まとめ
ブラックマンデーは「IT導入の功罪」「過剰レバレッジ」「制度の遅れ」が同時多発的に噴出した初のグローバル金融危機でした。
その後に整備されたサーキットブレーカーやリスク管理体制は、現在の市場の“安全ベルト”。
急落ニュースに動揺したときこそ、1987年の教訓――大量データは理性の代わりにならない――を思い出し、長期視点と分散でマーケットと向き合いましょう。
コラム:サーキットブレーカー早わかり
仕組み
S&P500が前日比▲7%で15分停止、▲13%で再度停止、▲20%で終日停止(NYSE基準)。
目的
パニック売りを冷却し、参加者に再考の時間を与える。
導入のきっかけ
もちろん1987年ブラックマンデー。いまや世界標準の危機管理装置です。
【用語ミニ解説】ポートフォリオ保険
株価が下がったら“自動で先物を売って、損失を小さく抑える”仕組み。
- イメージ: 株の値段が〇%下がったら、コンピューターが即座に“保険代わり”の売り注文を出す安全装置。
- メリット: 下落局面で含み損を限定できる。
- 弱点: みんなが一斉に売ると売りが売りを呼び、相場を急落させる――87年ブラックマンデーの連鎖要因になった。