横浜は、今でこそ日本を代表する国際都市のひとつですが、かつては静かな漁村でした。
この地が、日本の開国と近代化の象徴となったのは1859年のこと。
開港によって横浜は急速に発展し、日本の貿易の中心地としての役割を担うようになりました。
本記事では、横浜開港の歴史的背景をどこよりも詳しく解説し、現在の記念行事についても紹介していきます。
行事の基本情報
- 行事名:横浜開港記念日
- 開催日:毎年6月2日
- 地域:神奈川県横浜市
- 特徴:横浜の開港を祝う記念行事が開催される
横浜開港の由来と歴史
日本の開国と横浜開港のきっかけ
ペリー来航(1853年)
横浜開港の歴史は、1853年にアメリカの東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーが浦賀(現在の神奈川県横須賀市)に来航したことから始まります。
ペリーは日本に開国を要求し、「黒船来航」として日本国内に大きな衝撃を与えました。
- それまで日本は鎖国政策(江戸幕府による国交制限)を続け、長崎の出島を通じてオランダと中国だけと貿易を行っていました。
- しかし、19世紀半ばになると、西洋列強がアジアの植民地化を進めるなか、日本も欧米との通商を避けられない状況に陥りました。
日米和親条約の締結(1854年)
- ペリー来航から1年後の1854年、日本はアメリカと「日米和親条約」を締結し、下田と函館の2港を開港。
- しかし、これはあくまで「補給港」としての開港であり、本格的な通商貿易はまだ認められていませんでした。
横浜が開港地に選ばれた理由
その後、1858年に「日米修好通商条約」が締結され、日本は正式に貿易を開始するための5つの港(横浜・長崎・函館・新潟・神戸)を開港することになりました。
なぜ「横浜」が開港地として選ばれたのでしょうか?
江戸に近く、貿易に適していた
- 横浜は江戸(現在の東京)に近く、交通の便が良いことがメリットでした。
- しかし、当時の幕府は、外国人が江戸に直接出入りすることを避けたかったため、少し離れた横浜が選ばれました。
天然の良港
- 横浜は波が穏やかで天然の良港として知られており、大型の貿易船が停泊しやすい地形でした。
もともと小さな漁村だった
- 開港地を江戸から遠ざけるため、当時はまだ小さな漁村だった横浜が選ばれました。
- その結果、横浜は開港後に急速に発展することになります。
横浜開港(1859年6月2日)とその影響
1859年6月2日、横浜港が正式に開港し、外国商人が続々と来日。
横浜は一気に国際都市へと変貌しました。
貿易の拠点としての発展
- 横浜港を通じて、日本からは生糸、茶、海産物などが輸出され、外国からは綿織物、毛織物、鉄製品などが輸入されました。
- これにより、横浜は日本最大の貿易港へと成長していきました。
近代文化の流入
- 開港とともに、西洋文化が横浜を中心に日本へ広まりました。
- 西洋建築、鉄道、新聞、パン、西洋料理など、現在の日本の文化の多くが横浜から広がりました。
横浜開港記念日の行事
現在、横浜市では6月2日の開港記念日にさまざまなイベントが開催されます。
横浜開港祭
- 横浜港の発展を祝う大規模なイベント
- 山下公園やみなとみらい周辺で、ステージイベントやマリンスポーツ体験が行われる。
花火大会
- 記念日を祝う横浜開港祭のフィナーレとして、大規模な花火大会が開催。
- 例年、多くの観光客が訪れる人気イベント。
記念館の無料開放
- 横浜市内の博物館や記念館が、開港記念日に無料開放されることも。
- 例えば、「横浜開港資料館」では、開港の歴史を学ぶことができる。
⇒横浜開港祭|華やかな港町・横浜の歴史と由来をじっくり味わえる祭り
まとめ
横浜開港記念日は、日本の近代化の始まりを象徴する重要な日です。
1859年の開港以来、横浜は国際都市として発展し、現在も貿易・文化の中心地として多くの人に親しまれています。
毎年6月2日には開港を祝うイベントが開催されるので、歴史に思いを馳せながら参加してみてはいかがでしょうか?
横浜の開港がなければ、日本は今のような国際的な発展を遂げていなかったかもしれません。
この記念すべき日を通じて、改めて横浜の歴史を学んでみるのも面白いですね!